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青蓮院の印象

青蓮院の住持は妙法院、三千院とともに叡山(天台)座主を兼ねるため天台宗のうち、叡山の三門跡寺院として寺格は高い。

かっては比叡山僧坊のひとつで、最澄が草創、往時の場所の近くにあった青蓮池にちなんで青蓮坊といい、1150年(久安6)関白藤原師実の子、僧行玄が住持して院名に変わった、そののち、いまの粟田口三条坊に移り、鳥羽上皇(在位1107~23)の皇子覚快法親王が第2世で入寺、天台座主となり、当院は門跡寺院として、粟田御所、東山御所とよばれることになる。

美しい寺院である。まず、その青蓮院という寺名。そして静謐な建物と庭。さらには三条神宮道へ抜ける道沿いの東側の景色は、楠の巨樹が青蓮院の石垣の上の土塁にしっかりと根を張り、大きく枝を広げて緑陰をつくるようすが、ここ青蓮院独特の佳景である。

青蓮院の名僧と名庭

青蓮院の名を高めた僧がふたりいる。ひとりは、4度も天台座主になった慈円(慈鎮)で、全7巻におよぶ歴史害『愚管抄」を著し、日本の歴史を仏教的な世界観で解釈した。
執脅が9歳で出家するさいも青蓮院において慈円の得度を受けている。そのため本願寺との関係は深く、歴代の本願寺法主はこの寺で得度したのである。

もうひとりの僧は伏見天皇(在位1287~98)の皇子尊円法親王で、害に優れ、青蓮院流をおこす。江戸時代にこの流派が御家流となり、公文書はこの流派の書体を用いた。
そのような高僧たちが住持した青蓮院も応仁の乱で焼失、その後、再建と焼失をくり返し、江戸時代には知恩院の造営により寺域を割譲した。そして不幸なことに1893年(明治26)9月の火災で諸堂をことごとく失ってしまった。いま私たちがめぐる建物は、明治中期以後の建築である。しかし、寺宝は貴重なものが多く残り、宸殿浜松の間の襖絵、廊下杉戸の祇園会山鉾図、さらに「青不動」とよばれる不動明王二童子画像は、日本三不動のひとつとして著名である。
庭園も小堀遠州作といわれる「霧島の庭」。これは山の斜面に霧島ツツジを一面に植えたもので、また、好文亭前の苔の庭、相阿弥作と伝えられる林泉庭園もともに名園として知られている。

京都市東山区粟田ロ三条坊町69
075(561)2345
9時~17時

拝観料金 :個人:大人500円 中高生400円 小学生200円
団体(30名以上):大人450円 高校生350円 中学生300円 小学生200円
寺院団体(10名以上)400円
http://www.shorenin,com/
京都駅より市バス5系統神宮道下車徒歩3分

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