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高台寺は豊臣秀吉の没後、正妻である北政所(よび名はねね)が秀吉の菩提を弔うために草創した寺である。

秀吉の没年は1598年(慶長3)、ねねは落飾して高台院湖月尼と号する。秀吉の実子、秀頼を生んだ側室淀殿(茶々)が大坂城に入ったため、ねねは京都に隠棲して、亡夫の菩提寺とともに自らの終の栖となる寺院の建立を志した。

それを聞いた徳川家康は、秀吉の糟糠の妻で賢夫人、しかも孝養を尽くしたと評判の北政所を厚遇することは徳川家への反発をやわらげるために大いに利があると考え、東山の地に宏大な伽藍を建設して壮麗をきわめる高台寺を1606年(慶長11 )に建立したのである。

伽藍と装飾の美

高台寺は東山連山の一峰、霊山の山麓に建つ。庫裏の左手から境内に入ると、北側に建つ大雲院の瓦屋根と高楼の祇園閣が目の位置にみえ、この寺が名のごとく高台にあることが実感できる。

まず茶室の鬼瓦席や遺芳庵をみて、書院から方丈(仏殿)に上がる。方丈の前庭は勅使を前にするすがすがしい白砂の庭で、方丈の東庭はふたつの池を囲む池泉回遊式庭園で小堀遠州作といわれる。

高台寺の伽藍の特徴は、橋廊によって諸堂がつながっていることで、いまは外側からしかみられないが、方丈と開山堂、さらに霊屋にまで「楼船廊」や「臥龍廊」という屋根つきの廊下がくねるようにあがっている。

開山堂は中興の僧三江を祀る。この堂の天井が見どころで、入口近くには秀吉が使用した船の天井、奥には北政所の御所車の天井が用いられている。よく目を凝らせば、その文様や色彩の華やかさがみてとれる。

開山堂から一段高いところにある霊屋には北政所の遺骸を葬っており、領弥壇の右に秀吉坐像、左に北政所坐像、中央に隋求菩薩像を安置する。この須弥壇の柱や扉、勾欄、階段部分には有名な黒漆塗りに金色の蒔絵が施
されている「高台寺蒔絵」がみられる。

さらに山腹をのぼると、内部が傘を開いたょうに竹を放射状に組んだところから「傘亭」とよばれる茶室、入母屋造で二階建の茶室「時雨亭」が建っている。
なお、高台寺の西側にかつて北政所の住居(化粧御殿)があった地に円徳院が建つ。

京都市東山区高台寺下河原町526
075(561)9966
9時~17時30分
HP http://www.kodaiji.com/

京都駅より市バス206系統東山安井下車徒歩5分

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