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八坂神社(やさかじんじゃ) 町衆の熱気が満ちる神社

「八坂さん」の草創

京都人はものの名に「さん」をつけて呼ぶことが多い。「お揚げさん」から「天皇さん」とさまざまである。
とくに寺社の名に「さん」をつける。「弘法さん」(東寺)、「天神さん」(北野天満宮)、「お西さん」(西本願寺)、「お東さん」(東本願寺) と別称や略称を用いる場合もあれば、「建仁寺さん」「清水さん」と本名に「さん」をつけることもある。
八坂神社はその両方で「八坂さん」とよばれたり、「祇園さん」とよばれたりする。
京都の中心地に住む人たちに最も親しまれている神社といっていい。京都市街を東西に走る大通りのなかでいちばん賑やかな四条通の東の突き当たりに「八坂さん」は位置する。西の端は松尾大社で、ふたつの古社が四条通の両端を押さえているわけだ。

八坂神社の創建については諸説があって、一説には656年に高麗|玉1から来朝した八坂氏の祖が朝鮮の牛頭山に祀られていた素戔嗚尊の霊を移して、八坂の地に奉じたといわれる。

素戔嗚尊はインドの祇園精舎の守護神である牛頭天王と同一視され、薬師如来の垂迩(仮の姿)とされる。また一説に、876年(貞観18)興福寺の僧円如が牛頭天王を迎えて、藤原基経の寄進により堂宇を建てたことがはじまりともいう。牛頭天王は疾病退散の神として祇園信仰が深まり、以来、厄除け、商売繁盛にご利益があるとされて多くの参詣客を集めている。
正門は下河原町通に面する南門だが、四条通の東端、東大路通に面した賑やかな西楼門のほうになじみがあろう。この西楼門は応仁の乱ののち1497年(明応6)に再建されたそのままの優美な姿をいまに伝えている。
この楼門には蜘蛛の巣が張ることがなく、また雨だれの跡もつかないという不思議な話が伝わる。
八坂神社の境内と祇園祭西楼門をくぐり境内に入ると、祇園のお茶屋や料亭などが奉納した提灯がぶら下がる華やかな舞殿があり、その北に、南をむいて建つ本殿は、拝殿と合わせてひとつの屋根で覆ったもので、ほかではみられない特殊な建築様式のため「祇園造」とよばれている。
現本殿は1654年(承応3)の再建で、2002年に修復された。本殿下には龍穴があって、その穴は神泉苑や東寺までつながっているという伝説がある。

京都の夏をさらに熱く彩る祇園祭は、八坂神社の祭礼で日本三大祭、京都三大祭のひとつに数えられている。
この祭は、平安時代の初期、都に疫病が蔓延したさい、これを退散させるために、神泉苑に長さ2丈(約6m)の鉾66本をたてて厄災の除去を祈ったことがはじまりといわれている。
その後、一時中断したが、1500年(明応9)に町衆たちの手により復興した。7月1日から1カ月間にわたっておこなわれる祇園祭は、とくに16日の宵山、17日の山鉾巡行に大勢の見物客が集まる。

また大晦日の白朮詣では、キク科の植物で薬草の白朮で焚かれた火を吉兆縄に移し、家に持ち帰って神棚の灯明に点したり、その火を元火にして元旦の雑煮を炊くと1年間無病息災で過ごせるといわれている。
深夜の初詣のあと、クルクルと火縄を回しながら家に戻る人も多くみられ、八坂神社独特の正月風景である。

春、夜桜見物の人で賑わう円山公園や市街を一望できる長楽寺も八坂神社の東側にあって、足を伸ばしたいところだ。

京都市東山区祇園町北側625
075(561)6155
境内参拝自由(祈祷は9時~16時)
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/
京都駅よりり市市ババスス-100、206系統祇園下車2分

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