世界遺産 龍安寺の庭 一本の樹木も用いない石庭は15個の石を配し相阿弥作。
臨済宗妙心寺派の龍安寺北側に庫裏と方丈が建ち、方丈の前庭がその著名な「石庭」である。
東西25m、南北10m,油塀に囲まれたごく狭い空間に砂紋を描いた白砂を敷き、15個の石、立ったものもあれば、臥したもの、周囲に杉苔を生じたもの、白砂にほとんど埋まったもの、それぞれの石が無造作に点々と配されて、ほかには一木一草とてない。
俗に虎の子渡しという。池泉回遊式庭園とは違い厳しい拒絶感で面食らう。この白砂に置かれた15の石を、虎が子を背負って川を渡るようすをあらわしたもの(「虎の子渡しの庭」という)、仏教の教えによるものなど、いろいろにいわれ、ともかく禅境の極みとされている。
禅とは何か、それを簡潔に答えられる日本人はどれほどいるのだろうか。「石庭こそ禅の心である」といわれても、凡人には、どこか釈然としない、解答のできないもどかしさが残るだけだ。
それに、この石庭を禅の芸術的表現の第一等と私たちに教えたのは、アメリカの彫刻家イサム・ノグチである。それも第二次世界大戦後のことで、古くから、今日のように騒がれていたわけではない。
室町幕府の管領細川勝元は妙心寺の義天玄承に深く帰依しており、徳大寺家がもっていた山荘を譲り受けて、1450年(宝徳2)に義天を住持に招いて龍安寺を創建した。しかし自身が東軍の主将となった応仁の乱で焼失、勝元も1473年(文明15)に没する。勝元の子細川政元が特芳禅傑をまねいて再建、塔頭も21院と数えるまでに隆盛したが、1797年(寛政9)の火災でほとんどの堂宇を焼失してしまう。
その後、塔頭西源院の方丈を移築し、庫裏も同時期に再建、また1981年(昭和56)に開山堂を建立した。現在、龍安寺の主だった建物はこの三堂だけである。
西側の樹林の道を歩き、境内を広さをたしかめながら、鏡容池の池畔をめぐる遊歩道をのんびりと散策するのも、景色が広く、狭く不可解な「石庭」を眺めたあとならなおさら心が晴れ晴れとしていいものである。
京都市右京区龍安寺御陵ノ下町13
075(463)2216
拝観時間: 3月1日~11月30日 8:00 - 17:00
12月1日~ 2月末日 8:30 - 16:30
拝観料: 大人・高校生 500円 小・中学生 300円
京福北野線 龍安寺駅下車 徒歩7分