密教芸術の宝庫で本堂、御影堂は御所紫震殿、清涼殿の移築。延暦寺と並び年号を寺名とする門跡寺院。
世界遺産
仁王門をくぐると中門につづく幅広い参道が、道というより広大な空間として広がっている。この広さがまず仁和寺の特徴であり、気持ちの余裕を生みだしてくれる。
仁和寺の歴史と建物
886年(仁和2)光孝天皇の勅願によって、大内山の麓に伽藍の建立がはじめられるが、翌年光孝帝は没し、子の宇多天皇が888年(仁和4)に完成させた。仁和寺の寺名は年号による。
宇多天皇は退位後に出家して法皇となり、当寺に904年(延喜4)法務をおこなう僧坊がもうけられ、それは「御室」と尊称された。
これが当地の地名となる。その後、次々に皇も人ぜき族が入寺して、仁和寺は門跡寺院として最高位にあった。しかし、武家政治とそれにともなう禅宗の勃興や応仁の乱で衰退、一時、寺域は双ケ丘に移り、17世紀初めになって第21世覚深法親王が徳川家光より支援を受け、旧地に伽藍を復興する。
中門を入ると、正面に御所の紫辰殿を移した金堂が建つ。本瓦葺屋根の左右の反り返りが美しく、向拝と高欄を備えて寺の本堂というより、やはり御殿である。金堂に向かって右手前の高さ36mの五重塔は各層の屋根の大きさが同じという江戸期の建築様式を示す。
そして、境内の左手は遅咲きの桜として知られる「御室桜」の苑地が広がる。市中の桜がおおよそ散りはじめたころに、低い木に花を咲かせ、二度目の花見と京人に親しまれている。
本坊は仁王門を入って左手の区域で東端に勅使門が建ち、旧御所の台所門であった表門の先に大玄関、つづいて白砂敷の前庭をもつ白書院、さらに門跡の対面所の黒書院がある。
遅咲きの桜として知られる御室桜
御室桜現在の桜は寛永年間(1624~44)に植樹。土質により3mほどしか伸びない。
古くは江戸時代の頃から庶民の桜として親しまれ、数多くの和歌に詠われていて、花見の盛んな様子は江戸時代の儒学者・貝原益軒が書いた『京城勝覧』(けいじょうしょうらん)という京都の名所を巡覧できる案内書にも紹介されています。
案内書には「春はこの境内の奥に八重桜多し、洛中洛外にて第一とす、吉野の山桜に対すべし、…花見る人多くして日々群衆せり…」と記され、吉野の桜に比べて優るとも劣らないと絶賛されている。
京都市右京区御室大内33
075(461)1155
9時~16時30分(3~11月は9時~17時)
御殿・桜まつり・霊宝館(春期・秋期のみ)各500円
http://www.ninnaji.or.jp
京都駅より市バス26系統御室仁和寺下車徒歩1分
歩くもよし車や公共交通でもよしの「きぬかけの道」
もしあなたが自家用車や公共交通を利用して、寺々を巡るのならば、金閣寺参道前を起点として龍安寺、仁和寺、さらに福王子の交差点から広沢池の南辺を通り、大覚寺門前に至る観光道路「きぬかけの路」はとても便利な道なのでおススメです。又、健脚で自転車を駆る人にもおすすめです。
徒歩でゆっくり寺々を訪れたい方には喧騒な有名観光地巡りとは違った体験ができますので、時間と足に自信のある方はこのきぬかけの道を歩くのも楽しい一日になるかもしれません。龍安寺からゆっくりとした下り坂を下がると右手に仁和寺の豪壮な仁王門が建つ。いきなり平安文化の香りが色濃く残る大寺院に足を進めることになる。