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妙心寺の寺域は東西約470m、南北約540mの広さを誇り、46の塔頭を数える。

妙心寺の南門は下立売通に、北門は一条通に面している。寺域は東西約470m、南北約540mの広さを誇り、46の塔頭を数える。また日本全国に3400の末寺を擁し、臨済宗のなかでも妙心寺派は最大の宗派となっている。
仁和寺から訪れるなら北門が近いが、禅宗伽藍は南に向くという原則に従って拝観するならば、丸太町通から北に歩いて(JR嵯峨野線花園駅が近い)、南門から山内を訪れたい。

勅使門、山門、仏殿、法堂、寝堂、大方丈、庫裏と一直線に建ち並ぶ伽藍のようすはまことに堂々として訪れる私たちを圧倒する。
花園天皇は退位すると、この地にあった離宮を禅寺に改めて、大徳寺開祖の宗峰妙超の弟子関山慧玄を招き、開山として創建した。
1337年(建武41)のことといい、翌年、花園上皇は寺内に玉鳳院を建て参禅した。
しかし、1399年(応永6)妙心寺と関係の深かった大内義弘が足利義満に反旗を翻して応永の乱を起こしたため、義満は寺地、寺領を没収し、妙心寺は南禅寺の支配下におかれる。1432年(永享4)尾張犬山の瑞泉寺から迎えられた日峰宗舜が中興して独立するが、応仁の乱により堂塔は焼失。1477年(文明9)土御門天皇が9世雪江宗深に再興の論旨をくだして、伽藍を再建、その後、織田、豊臣、徳川ら各大名の支援も篤く、現在の大寺となった。

法堂の雲龍図

仏殿の北に、妙心寺最大の建造物である法堂が建ち、その北の寝堂とともに1656年(明暦2)の建築である。法堂の天井までの高さは13m,禅宗の法堂の鏡天井には、8年の歳月を費やして描かれた狩野探幽の筆による、今にも躍り出んばかりの狩野探幽筆の「雲龍図」が描かれている。これは、古来、仏法を保護する瑞獣である龍が法堂の空間を守るためだ。また、大方丈は1654年(承応3)の建造で、阿弥陀三尊像を安置する。

京都市右京区花園妙心寺町64
075(463)3121(代表)
境内参拝自由
(法堂天井の雲龍図、鐘梵、大庫裏 9時10分~15時40分)

大人700円
小学生・中学生400円

http://www.myoshinji.or.jp

JR嵯峨野線花園駅下車 徒歩10分

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