| 京都の寺社・仏閣、観光スポット |
| ■金閣寺とその周辺(6) | ■竜安寺とその周辺(6) | ■上賀茂神社とその周辺(7) | ■下賀茂神社とその周辺(5) |
| ■仁和寺とその周辺(4) | ■北野天満宮とその周辺(6) | ■二条城とその周辺(4) | ■京都御所とその周辺(5) |
| ■銀閣寺とその周辺(9) | ■清水寺とその周辺(9) | ■祇園・八坂神社とその周辺(21) | ■伏見稲荷大社とその周辺(3) |
| ■嵐山・嵯峨野とその周辺(21) | ■大覚寺とその周辺(2) |
| [他のカテゴリ] [サイトマップ] | [ヘルプ] [修正・削除] |
はおすすめサイト、
は相互リンクサイトです。 この色の文は管理人のコメントです。| ■ 西岸寺(さいがんじ) - 霊験あらたかな油懸地蔵を祀る
更新日:2005/10/31(Mon) 11:27 [修正・削除] [管理者に通知] |
| 油 懸地蔵を祀るためその名がある浄土宗の寺。その昔、山崎の油商人が、西岸寺の門前で転んで油を流してしまい、仕方なく残りの油を地蔵にかけたところ、後に 商運が大いに上ったことが、その由来とか。油懸地蔵は、高さ1.7mもある花崗岩に地蔵尊を内彫りした巨大なレリーフで、商売繁盛の御利益がある。 |
| ■ 法観寺八坂の塔 - 坂から望める東山のシンボル
更新日:2005/10/31(Mon) 11:21 [修正・削除] [管理者に通知] |
| 八坂上町にある臨済宗建仁寺派の寺。聖徳太子の創 建と伝えられ、塔の礎石も飛鳥時代のものとか。現在の五重塔は1440(永享12)年、足利義政により再建されたもの。内部には五大力尊が安置されてお り、拝観も可能だ。ほかに、薬師堂、太子堂も現存する。また高さ46mの八坂の塔がライトアップされる夜も、いっそう趣がある。 |
| ■ 方広寺 - 大阪冬・夏の陣の原因となった梵鐘が残る
更新日:2005/10/31(Mon) 11:17 [修正・削除] [管理者に通知] |
| 1586(天正14)年、豊臣秀吉により創建された天台宗の寺で、豊国神社に隣接。本尊は釈迦如来。かつては巨大 な廬舎那仏(るしゃなぶつ)を安置する大仏殿も存在したが、こちらは焼失した。授与品は手描きの美しい硯で、開運厄除けの御利益あり。 |
| ■ 建仁寺 - 中国の名刹がモデルの祇園の大寺
更新日:2005/10/31(Mon) 11:12 [修正・削除] [管理者に通知] |
| 臨済宗建仁寺派の総本山。1202(建仁2)年、源頼家の保護を受けた栄西が開山。足利義満が京都五山制を定めたのち、その第3位に列せられる。応仁の乱 後荒廃するも、江戸時代に復興。鎌倉後期の禅宗総門である 勅使門、広島の安国寺から移築された室町後期の方丈など、重要文化財多数。国宝の俵屋宗達作『風神雷神図』のレプリカも常設展示。 |
| ■ 豊国神社 - 豊臣秀吉を祀る出世開運の社
更新日:2005/10/31(Mon) 11:08 [修正・削除] [管理者に通知] |
| 「ほうこく」とも「とよくに」とも呼ばれ、祭神は豊臣秀吉。秀吉は死後、遺言により東山阿弥陀ヶ峰に葬られ、壮麗な豊国社に祀られたが、豊臣家滅亡後、徳 川家によって取り壊された。南禅寺金地院から移築した重厚な大唐門は、伏見城の城門を移築した遺構といわれ、国 宝。なお神社の御利益は出世開運で、千成ひょうたん形の開運絵馬を授与。 |
| ■ 今熊野観音寺 - 西国三十三所の第15番札所
更新日:2005/10/31(Mon) 11:04 [修正・削除] [管理者に通知] |
| 弘法大師が、十一面観音像を祀ったのが始まりとされる。西国三十三所第15番札所となっており、毎月9日には四国八十八ヶ所霊場のお砂踏み法要が営まれる場所。厄除け開運の寺としても知られており、と くに頭痛、病気封じ、智恵授かりの御利益がある。ぼけ封じ霊場でもあり、祈祷後には身代わりの石仏をぼけ封じ観音の台座近くに奉納する。 |
| ■ 京都霊山護国神社 - 維新の志士が眠る荘厳な神社
更新日:2005/10/31(Mon) 10:54 [修正・削除] [管理者に通知] |
| 明治元年に創建された神社。坂本竜馬、中岡慎太郎、木戸孝允ら、明治維新の功労者の墓があることで名高く、一帯は明治維新史跡公園になっている。授与品に は、「龍馬鉛筆」などがあり、御利益は学業成就。第2次世界大戦の戦没者のうち、京都出身の7万余柱を祀っており、厳かな雰囲気が漂っている。境内にある霊山歴史資料館には勤王の 志士や新撰組の資料を展示。 |
| ■ 養源院 - 父浅井長政の菩提を弔うため淀君が創建
更新日:2005/10/31(Mon) 10:50 [修正・削除] [管理者に通知] |
| 豊臣秀吉の側室・淀君が、父・浅井長政の菩提を弔うため創建。焼失後、1621(元和7)年、淀君の妹で、徳川秀忠の夫人でもある崇源院が、伏見城の遺構 を移し再建した。伏見城で秀吉が信仰していた大聖歓喜天はこの寺に引き継がれ、徳川家歴代将軍も保護。徳川家の位牌所、皇室の祈願所ともなった。本堂には 俵屋宗達の襖絵(重文)など桃山時代の名作、廊下の天井には伏見城落城の際に自刃した武将らの血痕が残る「血天井」も見られる。 |
| ■ 新熊野神社 - 後白河上皇お手植えの大楠が目印
更新日:2005/10/31(Mon) 10:47 [修正・削除] [管理者に通知] |
| 熊野神社、熊野若王子神社とともに、京都三熊野のひとつに数えられる社。境内にある大クスノキは、後白河上皇お手植えと伝えられる巨木。上皇は、紀州から 土砂と材木を運ばせ、熊野になぞらえて新宮、つまりは新熊野(いまくまの)神社を創建した。その際に植えられたのが、この大クスノキだという。地元では健 康長寿、病魔退散、お腹の神様として信仰を集めている。祈念しながら木をさすれば、諸願成就とか。 |
| ■ 八坂庚申堂 - 三猿も有名な日本三庚申のひとつ
更新日:2005/10/31(Mon) 10:43 [修正・削除] [管理者に通知] |
| 八坂の塔をやや下ったところにある天台宗の寺院。日本三庚申のひとつで、見猿、言わ猿、聞か猿の三猿を安置する。本尊は、飛鳥時代に秦氏の念持仏であった 青面金剛で、これを民衆に公開したのが起源。庚申前夜に出る三尺の虫をも喰うとされる青面金剛が庚申信仰と結びつき、本来は仏ながらも庚申堂に祀られるよ うになった。またコンニャク封じの寺としても有名で、縁日にはコンニャク焚きも行なわれる。御利益は腰痛、神経痛など。 |